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見沢知廉とは何だったのか


遅くなりましたが上京の報告を書いておこうかと思います。

9月6日土曜日、私は飛行機で福岡空港を発ち、東京へ着くと池袋へ直行してキンコーズで『民族派暴力革命論』を印刷、製本しました。
その夜は在京の同志と食事をし、翌9月7日日曜日、文京区にある見沢知廉の菩提寺「光源寺」へ向かいました。

寺へ着くと、すでに見沢知廉の御母堂とファンクラブの仲間がお参りを済まされておりました。私も、墓前に頭を垂れ、故人の冥福を祈ったのでした。その日は、夕方近くまで御母堂などと色んなお話をさせていただきました。

見沢知廉とは何だったのか。その答えはいまだに見つかりません。ただ一ついえることは、見沢知廉は戦後日本で最後の「作家」だったということです。

それは、見沢知廉が最後まで「作家らしくありたい」と思ったという意味で、最後の作家だったということです。だからこそ、自殺という最期に皆納得したのかも知れません。

しかし少なくとも私は、見沢知廉が自殺をしたとは思っていません。見沢知廉はまさに事故によって命を落としました。彼にはまだ書くべきことがあったし、言うべきことがありました。

それをいつも、感じさせられます。

墓参の間は抜けるような晴天でしたが、帰りの羽田空港は雷雨でありました。
| 本の山 book review | 19:37 | comments(4) | - | pookmark | このエントリーをはてなブックマークに追加 | このエントリーを含むはてなブックマーク| はてなブックマーク - 見沢知廉とは何だったのか
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| - | 19:37 | - | - | pookmark | このエントリーをはてなブックマークに追加 | このエントリーを含むはてなブックマーク| はてなブックマーク - スポンサーサイト
コメント
お疲れさまでした。
本当に多忙な活動家ですね!笑

>見沢知廉は戦後日本で最後の「作家」だった

とても重みのある言葉です。
先生に借りた三島由紀夫、とてつもなく面白かったです。
| スバリスト | 2008/09/14 10:16 PM |
 見沢知廉も三島由紀夫も殆ど読んだことはありませんが、見沢知廉の名は一水会での活動あたりからはよく耳にします。
 表向きの思想は、右翼→暴走族→共産主義者同盟→一水会と左右に揺れていますね。
 揺れていると言うか、自ら確認しないと気がすまない所は三島由紀夫の影響でしょうか?
 彼が「連合赤軍」に共鳴していたと言う話を聞いたときには、なんとなく納得しました。
 連合赤軍の中に入るとまた失望したかも知れませんが・・
 仰るとおり、日本で最後の「作家」なのかも知れませんね。
| tono | 2008/09/18 3:44 PM |
スバリスト君
三島由紀夫はよく読んで欲しいと思います。とても勉強になりますから。

tono様
赤軍に強い関心をもったのは事実ですが、共鳴というのは少し違うと思います。ただ、彼は新右翼に左翼の運動方法を取り入れました。
| 本山貴晴 | 2008/09/23 11:35 AM |
「民族派暴力革命論」は読んでいませんが、入手できる見沢氏の作品は全て読みました。「天皇ごっこ」はまさに名作で、思想を語る事行動する事の官能性をあのように見事に描いた作品を他には知りません。三島氏の「憂国」や大江氏の「みずからわがなみだをぬぐいたまう日」とは又違った描き方です。このような優秀な作家が現在何故こんなに過少評価であるのか?私にはわかりませんし残念です。
| 福田 | 2009/07/18 3:50 PM |
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