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復興支援、現地からの報告(1)

皆さんこんにちは!本山たかはるです。

震災復興支援のため宮城県に二度目の訪問をしてまもなく1週間となります。今回は約1ヶ月の滞在を予定していますので、残り3週間ほどとなります。今日は活動休止日で、明日から仙台市内で2日ほど活動するため仙台市へ向かう途中、インターネットカフェに入ってブログ記事を書いています。

できればリアルタイムにツイッターなどで報告したいところですが、なかなか時間がなくて更新できなかったので、今日はまとめて報告しておこうと思います。尚、写真などはfacebookに最新のものをUPしています。

以下、時系列にて。

6月19日(日)
 朝9時ごろ、NGOフリーピースの事務所を出発。今回のメンバーは森田代表理事と私の二名。私には同NGOの宮城県支部所長という肩書きが与えられていた。交通手段はワゴン車1台。選挙カーとして借りたものを、支援としてまた借りる。看板と拡声器は取り外し、天井に荷物を載せられるよう改造してもらった。運転は2時間ずつ交代し、延々と高速道路を走る。高速料金は災害ボランティアの申請をしていたので無料になった。途中3時間弱仮眠を取る。大規模な渋滞に数度巻き込まれるも、大過なく進む。

6月20日(月)
 出発から24時間で仙台市内着。前回もお世話になった宮城復興支援センターに物資を届け、打ち合わせを行う。同センターの代表者である船田氏と合流。当方の車両と支援物資を分譲し、南三陸町へ向かう。途中、宿舎となる宮城復興支援センター登米支部へ。同支部は登米市の所有する保育所(4年前に閉鎖)を借り受けて開設されたばかり。数十分かけて南三陸町へ移動し、複数の避難所に物資を運ぶ。因みに、月曜日は「定期便」と言って、各避難所から要請のあった物資を運搬している。

6月21日(火)
 宿舎である宮城復興支援センター登米支部の改修を行う。風呂が無いため、ドラム缶風呂などを建設。京都から来ている元大工のボランティア2名が大活躍する。いずれも20代の青年。登米支部にはその他にも数名のボランティアば出入りし、深夜まで意見交換を行う。食事はすべて自炊。時間がないときは非常食でしのぐ。

6月22日(水)
 午前中は登米支部周辺の民家に支部開設のあいさつ回りを行う。大きな屋敷の農家が多いが、震災直後の苦労話なども聞く。登米市も電気水道などが止まり、流通も途絶えたという。現在、水道は仮通水の状態で、飲めない。午後は支援物資を仮設住宅へ運び、無料市を行う。ここではフリーマーケットと呼んでいる。

6月23日(木)
 午前中は宿舎の整理整頓などを行い、午後から仮設住宅での無料市。前日の訪問先よりも遥かに規模が大きく、被災者が殺到する。配布物資も大量だったため、二回に分けて実施。二回目は交通整理を行い、一人当たりの量を制限した。しかし子供用品が多かったため、物資が余る。余ったものはいったん登米支部に保管することに。

6月24日(金)
 仮設住宅廻りの予定だったが、タイ王国からの支援物資(ミネラルウォーター)が大量に届くという知らせがあり、急遽宿舎に戻って受け入れ。2パレット分の水を登米支部に手運びで下ろす。この作業に2時間を要した。残りの4パレットを避難所に運ぶため支部を経つも、道に迷い予定時間を大幅に超過する。夕方、泊崎のホテルを下見(復興支援ツアー企画のため)。

6月25日(土)
 午前中、前日運びきれなかったミネラルウォーターを1パレット回収し、避難所へ届ける。すべて載らないので2往復する。午後は仮設住宅3箇所へ無料市。鞄、非常食、夏布団などを配布。夕方は買出し。船田氏が家族を連れて登米支部へ来られたので、夕食をともにする。

6月26日(日)
 森田代表理事を仙台空港へ送る。同空港は津波で損害を受け閉鎖していたが、現在仮復旧している。その後、仙台市へ向かう。

以上、記憶に従って記しましたので前後している部分もあるかも知れません。この間、いろいろ考えさせられることもありましたが、それは改めて書こうかと思います。その他、いま必要な支援物資の募集などについてはNGOフリーピースのウェブサイトで告知されるかと思いますので、ご協力を宜しくお願い申し上げます。



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