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暴力団は根絶せねばならない
皆さんこんにちは!福岡の本山たかはるです。

北九州市南区において、暴力団追放運動を行う住民宅に銃弾が撃ち込まれたのは記憶に新しいところですが、近年福岡県内では住民が率先して暴力団追放運動に立ち上がる傾向があります。

福岡県では全国で初めて「暴力団排除条例」を制定し、これを受けて北九州市福岡市も条例制定に乗り出しました。

北九州市も福岡市も、条例制定にあたってパブリックコメントを募集しています。この暴力団追放運動について、私の考えを記したいと思います。

まず結論として、私はこの日本から暴力団(ヤクザ)を根絶すべきであり、暴力団の根絶は政治の責任であると考えています。いわゆる裏社会というものはいつの時代、どの地域にも存在しますが、こんにちわが国の暴力団とは極めて戦後的な存在です。その台頭は戦後の混乱期から始まり、昭和30年代から40年代にかけて大型化、広域化、組織化されたと言われています。そして暴力団がもっとも社会的影響力をもったのが昭和末期から平成初頭にかけてです。

平成4年に「暴対法(暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律)」が施行され、暴力団は大きな打撃を受けましたが、その多くは巧妙に法の網を抜け、資金稼ぎは多角化しています。オレオレ詐欺などの詐欺犯罪や行政対象暴力の増加もそれを裏付けています。

政治家と暴力団の癒着はその時々に大きなスキャンダルとなってきました。政治は暴力団への規制を強める一方で、暴力団の組織的な威力を利用してきたのではないでしょうか。また暴力団を取り締まる警察についても、暴力団との癒着に関する噂が絶えることはありません。

住民主導による暴力団追放運動は、そういう意味でこの社会に「不正な権力」を成立させにくくするために重要です。暴力団が社会に跋扈することは、それが「正直者がバカをみる社会」であることを意味するからです。しかし一方で、先のニュースのように住民運動のリーダーが暴力団による脅迫行為を受ける危険があるのも事実です。

このようなときにこそ、文字通り住民の矢面に立つのが政治家の責務です。知事や、市長や、議員が命を賭けて暴力団追放運動の先頭に立ったとき、初めて時代は変わることでしょう。彼ら政治家こそが、率先して暴力団との繋がりを絶ち、大多数の市民のために働かねばなりません。

今回、福岡市の条例案を斜め読みする限り、この条例が暴力団追放のために実効性を持つとは思えません。それはこの条例が、福岡市じしんが必要に迫られたと自ら考えて起案されたものではなく、県が条例を制定したことを受けて、「県に協力する」という受動的な動機によって起案したものだからです。

北九州の場合は、もともと暴力団の抗争も多いことから危機意識も高く、暴力団に協力しないことなどを市民の「責務」とする踏み込んだ条例案を検討していますが、それでも罰則規定を設けていません。

例えば福岡県の暴力団排除条例では「学校から200メートル以内には暴力団事務所を構えてはならず、違反すれば1年以下の懲役、50万円以下の罰金」と定めています。この上で、市町村において独自の条例を定めるのであれば、県条例よりも厳しい内容にするのが自然ですが、そうなってはいません。

そもそも条例で定めることのできる罰則の上限は次のとおりです。
2年以下の懲役若しくは禁錮、100万円以下の罰金、拘留、科料若しくは没収の刑又は5万円以下 の過料」(地方自治法・第3章第14条3項)

地方自治体が本気で暴力団を追放しようと考えるならば、その条例の主旨に反する行いに対しては上限いっぱいの罰則を定めるべきですが、それができないのは暴力団と癒着しているか、暴力団を怖れているのかのいずれかでしょう。

よって、私は県や市が暴力団排除のための条例を定めることについて賛同はしますが、その内容については「義務付け」と「罰則規定の追加」が欠かせないと考えます。私はこのような主張を行うことで暴力団に敵視されようとも構いません。正直者がバカをみない社会をめざすために、戦う政治家になりたいと思います。

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| 本山たかはるの政策提言 | 20:29 | comments(3) | - | pookmark | このエントリーをはてなブックマークに追加 | このエントリーを含むはてなブックマーク| はてなブックマーク - 暴力団は根絶せねばならない
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| - | 20:29 | - | - | pookmark | このエントリーをはてなブックマークに追加 | このエントリーを含むはてなブックマーク| はてなブックマーク - スポンサーサイト
コメント
どうも、暴力団についての意見読ませてもらいました。 暴力団とはかつてはヤクザのことをさすのではなく左翼とかの過激派をさす言葉として使われていたらしいです。 左翼の運動が下火になったときに警察がヤクザを暴力団と指定して新たな標的にしたと聞きました。 確かに民衆に発砲するヤクザは暴力団と言われて当然だと思います。 

しかし戦後に米兵の横暴に警察が全く無力だったときに、警察はヤクザの親分に頼み込んで助けてもらったり、六本木なんかではヤクザが米兵と戦っていたとかいう話もあるんですよ。 ヤクザは任侠とか言われますよね。 義理とか人情を重んじ「強気をくじき弱きを助く」のが任侠道ですね。 男の憧れる世界でもあったんです。 昔のヤクザとはこういう存在だった。ヤクザがジャパニーズマフィアといわれなかった所以ですね。 そういうヤクザの資質というのは日本の精神の賜物だと思うんですよ。 でもお坊ちゃんの警察官僚なんかは暴対法をつくってヤクザがしのぎをできないようにした。 そしてヤクザは仕事がなくなって生き抜くためには薬の売買とか密輸とかにてを出さざるを得なくなった。 ヤクザのマフィア化ですね。 もちろんその前からそのようなシノギをやっていた組もあったでしょうが。 でも今でも苦しいながらもクスリの売買とか不正なシノギには手をつけずにやっている組もあるといいます。 親分がしっかりしているところはまだそうなのかもしれません。  僕は宮崎学の「突破者列伝」という本で、北九州の工藤会の会長にインタビューしている記事を読んだんですけど、この会長は「俺が生きているうちは外国人マフィアを北九州でのさばらせるようなことはさせない」というふうなことを言っていました。 その記事を読んだときは正直すばらしいと思いましたよ。   で、昔は組の代紋を掲げることができたし、構成員の名前も事務所にみな書かれていた。だからヤクザがなにかしてもすぐにどこの組のだれだれがやったとかわかったわけです。 でもヤクザへの取り締まりが厳しくなって以後はそれもできなくなった。

ヤクザのある親分がこういったそうです「このままでは後ろから人を撃つヤクザがでてくるようになる」と。

昔はヤクザでも汚いマネはあまりしなかったといいます。ヤクザにも掟があって、それに反することをするものは破門されたり、他の組にも入れなくなったといいます。だから心ある親分は「仁義なき戦い」を子分らに見せたくないんですって。  

でも戦後警察が無力だったときにヤクザに助けてもらった警察は恩を忘れ、つぎつぎとヤクザの住みにくくなる社会にしてしまった。

清水次郎長のようなヤクザがいなくなり、ヤクザがマフィア化していった原因はヤクザを根絶しようとした暴対法にあるかもしれません。 

で、ヤクザの力が弱まってどうなったかというと、外国のマフィアがのさばるようになってきた。 中国マフィアとか歌舞伎町ではひどいみたいですよ。 で、治安も悪化。 昔の港湾の仕事はヤクザが牛耳っていたけど、外国のマフィアが入ってくるのとかを防ぐ働きもあったですって。 ヤクザがいないのがクリーンな社会かもしれないですけど、マフィアのいない社会というのはつまり社会主義国ですね。 いつの時代も素行不良で社会に適応できない者はいると思います。 で、そういうのを面倒見ていたのが組だったのですが、そういう基盤をなくしてしまうともっと変な凶悪犯罪の増加につながりかねないです。 現にいまそういう奴がわんさかますからね。 

まあ今のヤクザも問題でしょうね。 そんな話で聞くようなできたヤクザって最近は見ないですからね。 俺も変なヤクザにからまれたこと何回もありますし、ヤクザみたいになっている友達にはしょうもないのもいます。 でも、軍隊と一緒でヤクザも必要悪なのかなと思います。 

ヤクザについての俺の単なる意見ですが、マフィアと違って「伝統的な」ヤクザは日本の精神の賜物だと思っているんで、長々と書いてしまいました。 まあ、俺のウル覚えの知識なんで詳しくはわかりませんし、ヤクザに対するはっきりした意見も僕は持っていませんが、また本山さんはもしかしたらこのこと知っているかもしれませんが、こんな見方もあると知って欲しくてかきました。 

まあすいません、旅中ですが、宿がパソコン使い放題なんで長々と書いてしまいました!

http://page.freett.com/ishiikazumasa/が面白いかもしれません。

僕は男伊達の世界は好きですから、伝統的な任侠の復活は望んでます。

| 吉田です | 2010/04/01 4:35 AM |
吉田様

コメントありがとうございます。
いま中東におられるのですね。くれぐれも道中お気をつけ下さい。無事のご帰国を首を長くしてお待ちしております。

さて、ヤクザに関する見解をいただきました。きっと吉田さんが書かれたような意見をもっておられる方は多いと思います。それを理解したうえで、私は「暴力団を撲滅すべし」と主張します。

吉田さんが仰るように「素行不良で社会に適応できない」人はいつの時代もいると思いますし、組織犯罪をゼロにすることもできないでしょう。そして「義理とか人情」を重んじる任侠という一種の美学が社会に良い影響を与えることもあるかも知れません。

しかし現在の暴力団は、権力と一体化しています。政治家や警察機構と癒着して、庶民を食いものにしています。いちいち挙げませんが、そういう証例は枚挙に暇がありません。また暴対法は暴力団を根絶するための法律ではなく、警察が暴力団をコントロールできるようにするための法律です。暴力団がいなくなると困るのは警察です。仕事がなくなるからです。

ヤクザの大半はマイノリティ出身者だといわれます。一部のマイノリティ出身者が暴力団に入らざるを得なくなるのは、社会が悪いからです。私たち政治を志すものは、社会を良くすることを目指していますので、ヤクザを必要悪と認めることは自己矛盾になります。社会不適応者も生きることのできる社会であれば、彼らは犯罪に走らなくてすむのです。

日本のヤクザが減退することで、中国マフィアが伸張する、というのもよく言われることです。しかし、だからといって暴力団を野放しにするというのは筋が違います。それどころか、近頃は暴力団が外国マフィアと結託しています。暴力団が国を守るという保証はありません。彼らが外国マフィアを排除するというのは、自分達の縄張りを守る本能からです。中国マフィアを排除するのは警察の仕事です。

私は、実際のところ任侠と暴力団は何の関係もないと思っています。任侠と言うのは、もともと儒教精神の一種です。無秩序な世界にあって、相互扶助で結ばれた友愛精神とも言えます。社会に秩序があれば、そのようなドメスティックで排他的な精神は不要になります。それよりもより高いレベルの、国家における共同体の公共精神こそが、これからの日本には必要なのではないでしょうか。
| 本山たかはる | 2010/04/02 12:52 AM |
なるほど! さすがです。 本山さんの意見はすごく説得力ありますね、また非常に勉強になりました。

これからもネット環境があればブログ拝見させていただきます! 
 
| 吉田です | 2010/04/09 1:28 AM |
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